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生死を彷徨い決断!シングルマザーになるまで

はじめまして!るかです。

このブログに訪れてくださり、ありがとうございます。

私は、8歳・5歳・2歳の子どもを育てるシングルマザー です。

シングルマザーになるまでの道のりは決して平坦ではありませんでした。

親から「結婚したら、どんなことがあっても離婚はするものではない」
と言われていたこともあり、「離婚」の選択肢はありませんでした。

その一方で
・家事にも育児にも関わろうとしない夫への不満。

・夫へ気を使いながら、お金を使う生活のもどかしさ。
・夫と共に老いていく不安。

を、感じる生活を送っていたのです。

しかし、私は第3子出産時生死を彷徨う経験を通し、離婚を決断しました。

私は窮地に立って初めて決断をしましたが、今振り返ると…

もっと早く決断していれ
ば良かった!

ここをご覧のみなさまも
「夫に不満はあるけど、私さえ我慢すればいい」
「離婚を考えるけど、生活が不安で踏み出せない」
「シングルマザーとして本当にやっていけるのか不安」
「老後に夫と過ごすことに不安」

そんな悩みを抱えていませんか?

このブログは、 そんな方に向け
“離婚に際する知識と行動の選択肢を増やす場所”
 になっています。

ここからは、私の生い立ちからこのブログで掲載していくことまでを説明していきますので、ぜひ最後までご覧ください。

基本情報


名前:るか

家族:8歳娘・5歳娘・2歳息子
住まい:埼玉県
仕事:本業/精神科相談員、副業/グラフィックデザイナー・ライター
趣味:カメラ撮影、思い出画像編集、音フェス、イベント開催

家庭事情

愛情不足な母と、人付き合いが苦手な父の元に誕生。
妹が1人。

母は両親から療育を受けず、中学2年時から1人で生きてきました。
そのため
社会一般常識・人付き合い・衛生管理はへんてこで、人に頼ることが苦手でした。

幼少期 ~ 中学時代:母の呪縛と2回の絶望

「私がしっかりしなきゃ」
「私がなんとかしなきゃ」
この言葉は、幼いころからずっと私の中に根付いていました。 

母は友人がおらず、唯一の相談相手が幼い私でした。

母は毎日のように私に愚痴をこぼし、泣きながら頼ってきました。

「あなたしかいない」

そう言われるたびに、私は 「私が支えなきゃ」 と思うようになりました。

一方学校では、私はただの「いじめられっ子」でした。

私は幼稚園から中学まで、ずっと「汚い」「空気が読めない」と言われ、クラスの中で浮いていました。

その生活の中、今の自分にかかわる大きなエピソードが2つあります。

はじめての絶望

空気扱いをされて過ごした小学2年生。

辛いと相談をした相手は、母と担任。
どちらからも、いじめられる側が弱いのだと非難を受け、心の行き場を失くし…


結果、声が出せなくなってしまいました


困った母が私を小児カウンセリングへ連れて行きました。
半年ほど通った結果、前よりも少し楽に生活が出来る様になり、発声も出来る様になりました。

2度目の絶望

そんな私にも、唯一の心の支えだった友達がいました。

幼稚園の頃からの友達で、その子だけが、私を「私」として受け入れてくれる、唯一の存在でした。

しかし、小学6年生のとき、その友達が白血病で亡くなりました

「どうして…?」

ずっと笑顔で、私のことを励ましてくれていた彼女。
でも、実はずっと病気と闘っていて、それを私に隠していたことを後から知ったんです。

それを知ったとき、私は悔しさと悲しさで崩れ落ちました。

「私は、自分のことで精一杯で、彼女の苦しみに気づけなかった…!」

この経験が、私の価値観を大きく変えました

「人はみんな、それぞれの悩みを抱えている」
「もっと人の気持ちを理解できる人間になりたい」

そう思うようになりました。

・私がなんとか、母を支えなければと必死だった。
・いじめにより口が効けなくなったが、小児カウンセリングで回復をした。
・唯一の友達は、人知れず闘病をしてこの世を去った。
・友人の死をきっかけに、人の気持ちを理解できる人間になりたいと考える様になっ
た。

高校~大学:人に寄り添う仕事を目指すまで

いじめの過去を断ち切るため、地元を離れた高校に進学し、高校デビューをしました。

おしゃれに目覚めたことで自信がつき、友人が増えました。

友人達と接することを通し、少しずつ人の気持ちが理解できるようになっていきました。
気付けば友人達の相談に乗るポジションになり、一緒に悩みを解決していくことに、喜びを感じる様になりました。

進学を考える時期になったころ、母から大学だけは出た方が良いと言われ、進学を意識しました。

そして、小児カウンセリングを受けた経験、色んな人の相談に乗ることのやりがいを感じたことから、福祉心理学科に進学しました。

そこで新たに出会ったのが「精神保健福祉士」という資格でした。
これは、精神疾患を抱えるがゆえに生活に支障を抱えている方々の支援をする存在でした。

私は「精神保健福祉士を取得し、人に寄り添う仕事がしたい!」という、新たな目標ができました

資格試験取得目標と同時に、軽音楽部・バイトで予定を埋め、常に手帳びっしりの4年間を過ごしました。

4年時には、全部活動を統括する組織へ所属し、イベント企画・運営にも挑戦しました。
大学を飛び出し、数100人規模のイベントを何度も成功させ、自信を身に付けていきました。

目標であった国家試験勉強にも努め、精神保健福祉士の資格を無事取得しました。

人の相談に乗ることへの生きがいを感じ、福祉心理学科のある大学へ進学。
・スケジュール管理をして、充実した4年間を過ごした。
・イベント企画・運営により多くの方から称
賛をえたこと、国家試験合格などの成功体験から、私は自信に満ち溢れ、行動力を習得

就職~結婚・出産

精神科特化した施設や病院で、心に悩みを抱えた方々の相談に乗るやりがいを感じ、充実した日々を送りました。
誰かのために生きることに対し、喜びを感じていました

更にもっと多くの人の役に立ちたいと考え、スキンケアアドバイザーの副業を経験し、多くの女性の肌悩みを聞き、解決していきました。

副業の中でもスキンケアアドバイザーを選んだ理由は、私自身が正しいスキンンケアで自信が持てるようになったので、みなさまにも同じ体験を提供したかったからです。

みなさんのケアを希望するきっかけはさまざまでしたが、1番多かったのは、「結婚式を控えているのでキレイになりたい。」という方々でした。

花嫁になる方々をキレイにする喜びの一方で、同年代の子がどんどん結婚することに焦りを感じていました

これまで、人並みに彼氏もいましたが、メンヘラだったり、モラハラだったりとキャラが強かったことから、当時は恋愛に疲れ果てていました。

自分も幸せになりたいと考えだし、結婚・出産をしました。

安易ですが、母から女の幸せは結婚と言われたことが頭の隅にあり、幸せになるには結婚しなければならないと思い込んでいました。

しかし、待っていたのはギャンブル夫との忍耐の日々でした。
幾度となく嘘・借金・逃亡を繰り返されながら、「私がなんとかしなきゃ」と必死でした。

問題が起きる度、母は「妻は我慢して支えるものだ」と、言いました。

それゆえ
「私さえ、我慢をすればいいんだ」
そう、思っていました。

一方で友人達からは、「早く別れた方が良い。」
と、言われ続けながら、離婚に踏み切れずにいました。

そんな中第3子出産時、事件は起こりました
産後出血が止まらなくなり、救急病院へ搬送されました。
15リットル(体内の血液は5リットル)出血し、一時呼吸停止、もうあと一歩で死を目前としていましたが、20名の医師たちの懸命な処置により、なんとか一命をとりとめました

生死をさまよったのちに…
「私、このまま我慢し続けて、幸せになれるの?」
「このまま老いていくなんて嫌だ。」
「世間の目なんて関係ない、幸せかどうかを決めるのは私と子どもたちだ」
そんな風に思いました。

私が退院するころ、元夫宛ての裁判所執行手前の通知が届いたこと、表情も態度も粗悪になっていたこともあり、離婚を決断しました。

体も心もボロボロでした。

我慢すること、親の言葉に支配されることに慣れていた私には、物凄く勇気のいる決断でした。

・「自分の幸せ」の人生を意識し、結婚・出産。
・ギャンブル依存症夫に対し、「私がなんとかしなきゃ」と必死に耐える生活。
・死を彷徨い、「自分の幸せ」を改めて考え、離婚を決断。

副業挑戦するも挫折、住宅確保のため奮闘&獲得するも倒れる


離婚と決意した私は、必要な資金を確保するためにWEBデザイナースクール受講を経て副業を始めました。

しかし、それまで正社員としての経験しかなかった私にとって、新たなスキルを身につけても1年掛けても月3万円を稼ぐことさえ困難でした。

さらに、夫の借金によって離婚が遅れれば自宅を失うという切迫した状況から、副業で資金を十分に稼ぐ前に離婚を決断しました。

「この家に住み続けたい」という子どもたちの気持ち、私たちが暮らすこの地域への愛着から、離婚後も家を手放したくありませんでした。

そのため、住宅ローンの借り換えを決意し、審査を通りやすくするために、車で片道1時間の通勤時間の中、育休からフルタイムで復帰を果たし、復帰翌月から子どもたちを母に預け、月2回当直(朝8:30~翌9:00)をこなしました。

私の場合、住宅ローンを連帯債務から単独債務への借り換えであったため、かなりハードルの高いものでした。
FPとも相談し、当直再開してから3ヶ月分の給与明細と職場からの年収確約書があれば、通りやすくなるといった話だったため、必死に働きました

その甲斐あって、無事に住宅ローンを私1人の単独債務で借り換えすることができました
一方、1人で月々約10万円のローンを抱えることに‥‥

そのため、副業収入を安定させなければ!と、決意を固め、改めて副業を安定させることを目的にオンラインスクールへ入会しました。
勢いよくスタートし、子どもたちと今の家に住み続けるために安定して副業で月10万円収入を得ることも目標に走り出しました。

しかし…入会から2ケ月後私は倒れました

職場では医師や上司からの圧に耐え、自宅では1人で子育て、寝かし付けた後と早朝に副業作業。
睡眠不足と疲労が蓄積し、ついに心身限界を迎えてしまったのです‥‥

死にかけてボロボロになっていた体に鞭打って働き、離婚手続きや上司からのパワハラに疲弊し心はズタズタ。

必死に頑張りましたが、心の奥では悲鳴をあげていたんです。

結果として、「抑うつ状態」と診断を受けて仕事を休職することになりました。

無理は禁物だと痛感

人間理解に繋げる再構成案

 

精神保健福祉士として、多くの方々を支えてきた私が、まさか自分自身が心の病で倒れることがあるとは…と、情けなさと悔しさで涙が止まりませんでした。

精神科医から「あなたの頑張りは素晴らしいけれど、今は休むことが最優先です。好きなことをして、のんびり過ごしてください。」と、言われました。

そんな折、偶然耳にした言葉。

「人が行動に移すのには、行動心理を理解する必要がある。」
「潜在意識を理解し、行動心理を理解できれば自分の行動を仕組化できる」
「人間理解こそ、自己理解であり、人を動かすことができる」

といった言葉でした。

例えば、人が物を欲しいと思う理由が理解できるからこそ、人が物を購入したいと思わせることができるのです。

そういった人間の行動に仕組み、心の動きを知ることで、自分の人生・自分で選ぶ準備ができます。

このブログで発信すること


このブログで発信する内容は

・離婚手続きに必要な知識と心構え
私自身が直面した法的手続きから感情面での対処法まで、実体験に基づいた情報


・シングルマザーの経済事情と日常
手当の中で家を守り、子どもたちと笑顔で支え合いながら暮らすための工夫や試行錯誤

・周りを頼れる様になる心を育てるステップ
周りからのサポートを受ける側になって学んだ「助けを求める勇気」について

・人間理解と行動の仕組みについて
自分の理解を深めながら、自分で行動を仕組化するプロセス

 

最後に

このブログは、決して離婚をすすめているわけではありません。

「いざとなったら自分の力で生きていける」という 安心感と自由な選択を持てるように、知識や体験をシェアし、“知識と行動の選択肢を増やす場所” です。

今後までの生活を考がえた時に
・本当に離婚が必要なのか見つめ直したい
・いざという時にシンママになる備えを持っておきたい
・決断ができる自信を持ちたい

そんな方々にとって、参考となるブログを目指しております。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました!

今後のブログで取り上げてほしい内容があれば、気軽にコメントくださいね✨

私がこのサイトを誰に、どんな未来を、なぜ提供したいのかはこちらに詳細がありますので、合わせて読んで頂けると嬉しいです。